俺はサッカーボール〜過去との対話〜(加筆あり)

僕は作詞が苦手です。

苦手意識がすごいです。

詩らしくあろうと、うまく書こうとしてしまいます。

あれはダメとかこれはダメとか

自分でもよくわからないルールで

あたまを縛り付けているようです。

それを振り払おうと、勢いに任せて作詞をしようと思うとき、必ず思い出される記憶があります。

 

それは小学校3年生のころ、国語か何かの授業で宿題が出た時のこと。

宿題の内容はこうだ。何がテーマでも良いから、次の授業までに詩を一つ書いてくる事。

そのとき僕は、下手ながらもサッカー小僧だったので、こんなの簡単!とばかりに、ただ勢いに任せてサッカーボールを主人公にして詩を書いた。

「俺はサッカーボール 勢いに乗ってゴールに飛び込むぜ 」

みたいな内容だ。(本当はもう少し長かったけど、今は省略。)

しかし、知らない間にカバンにしまったはずの詩を教室のどこかで落としてしまっていたらしい。

それを拾った担任の先生が落とし物として、「誰の?」という感じで黒板に張り出してしまい、クラスメイトの半分くらいだったろうか、皆がそれを目にした。

僕は教室の黒板前に人だかりを見つけると、「なにこれー笑」「誰の?」というやりとりが聞こえる。

輪に入り、ふと黒板に目を向けると自分の勢いこめて書いた詩が、黒板の左隅の方に張り出されているではないか。

見た瞬間、心の中で(ギャー)と叫んだかどうかはイマイチ覚えていないが、かなり恥ずかしかったような気がする。

しかし、決定的に忘れないことが一つある。

その時、輪の中にいた、当時最も仲の良かった友人がその詩を見てこう言ったのだ。

「こういう詩を書くやつ嫌いだなー」と。

その時の、自分の胸に穴の開く感覚、耳から音がなくなるような感覚は、今でも鮮明に思い出される。

そして人だかりはすぐに「掃除だー」とか言って消えていった。

その後、その場にいた先生は僕に言った。

これは立野君が書いた詩なんじゃないの?

と。先生は最初から僕の詩だと思っていたらしい。

「じゃあ貼るなよ!」

と心の中で思ったが、僕はとっさにこう言った。

「いいえ、僕のじゃありません。」

先生はこの子嘘を言っている“、そのような疑念を顔に浮かべた。

だがその時の僕にはもう、この詩が自分のものだと受け入れる勇気が持てなかった。

何人ものクラスメイトが目にし、仲の良い友達の口からは最も聞きたくない言葉を聞いてしまった。

今こうして記憶を辿りながら言葉を書き出すといろいろと当時の感情を思い出す。

先生が僕だと半分わかっていながらわざわざ黒板に張り出した事に、当時怒りと失望を覚えた事。

そして、仲の良い友達が僕の詩を否定した事。

その記憶が、時を経て、自分の中にどのように残っているのか。

それは、先生に対する怒りの感情ではなく、

自分から素直に生み出されたものが

誰かに否定されたという記憶だ。

そしてなにより、なによりも、勇気が出せなかった僕は、自分で自分を否定してしまったという記憶。

その”誰か”とは自分だった。

 

これは現在、僕が詩を書こうとするとき、必ず頭を過ぎる苦い記憶。

ペンに勢いを込めようとした瞬間、あの時の教室にタイムスリップしてホウキか何かを持った仲の良い友達が口を動かして、笑う。

その友達は悪意があって言ったとは思っていない。ましてや自分の隣に書いた本人がいたとも思っていなかっただろう。

その友達とはその後も仲は良かった。

しかし人前で詩を書くような事はなくなったと思う。

この事を人に話した事はあまりない。

これまで2〜3人くらいには言ったことがあっただろうか。

僕が何故今このような事を書いているのか。

それは自分の過去の記憶と向き合わなければいけない瞬間が、最近増えてきたからだ。

詩を書くことも、歌を歌うことも、

曲を作ることも、ギターを弾くことも

心の中の事は全て、音や表現に乗ってしまう。

 

これまでの人生の中で、傷ついてきた事は少ないながらもそれなりにある。

傷ついて心に少し跡が残っているその窪みに

、置き去りになっている自分がいる。

それをトラウマと言うのかもしれない。

今後、僕の表現を完成させるために、

僕は詩を書いていきたいと思っている。

それにはこのトラウマと向き合う必要があった。

これまで、「俺はサッカーボール」の詩の事を口にする事がなかなか出来なかった。

それを口にする事が怖かった。

過去に置き去りになっている自分との対話を進める事は、自分が今後一層自分らしく生きていくために必要な事なのだ。

記憶の中でうずくまっている自分に「あの時何が嫌だったの?」と聞いてみると、最初は鼓動が速くなったり大きく脈打ったりして、呼吸も浅くなる。そして恐る恐る教えてくれる。

しかし、時間をかけて何度も対話を重ねるうちに、(あれ?そこまで大問題じゃない、よな?笑)みたいに、意外と大したことではなかったと思えたりする。

ただ、向き合わなければ恐怖は恐怖のままだ。

僕は今詩を書く事に苦戦しているが

この過去との対話が今後、僕の表現にさらなる勢いを与えると信じている。

そしてこれからも、過去の自分との対話を続けていくつもりだ。

今はなかなか外に出られない分、

自分の心の中を整理するのも良いかも知れない。